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小澤澄雄校長先生との交流、ろう教育についてのディスカッションが始まった。また、中学、小学、幼稚部のお母さんとの交流を深め、へき地教育へのベルマークを集め、その整理などもした。また天皇行幸を仰ぎ、教室や廊下を磨き、教室のカーテンを新調するために、徹夜で作業したこともあった。
このころ、小沢花江先生が受け持ってくださった。「先生は神さまみたいだなあ」と私は思った。「私は算数の方が弱くて、お家でお願いします」と、素直におっしゃられた。その言葉がいまでも耳に残っている。子供と相性がよく、口話に力を入れてくださった。
小学校も三年となり、須原忠彦先生にバトンタッチされた。口話よりも学力に力を入れ、私が思ったことを発言するので、かなりご迷惑をおかけした。
このころになって、直幸に現在までの生い立ちを、少しずつ話した。そのたびに、「残念だったなあ」と言う。未だにため息の深さが耳に残る。
私も子供の進学、就職、結婚、そして兄弟、親類への影響など、取り越し苦労が重なったころだ。
直幸は野球クラブに入り、体力をつけて、めきめき成長した。他校との野球試合もあり、また本を読むようになった。
大田ろう学校へと進学したが、三年間預けっぱなしで無責任な親だった。直幸は野球、卓球の試合で帰りが遅いので、栄養面を考え、ある日、肉料理を食べさせたが食中毒で病欠した。無欠席で三年間を通そうと張り切っていたときであり、親の不注意で水をさしてしまった。友

 

 

 

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